新企画!コーチインタビュー第1弾!! 黒沼コーチ編・前編

5月から発足した『レアッシ+12広報部』、今後ここからクラブの様々な情報を発信したいと思います。さてその第一弾として、今回から普段語られることのないコーチたちの素顔に迫る、コーチたちへのインタビュー・リレーを行います!

記念すべき第一弾は黒沼 遼コーチです!

ーさっそくですが、サッカーを始めた経緯と選手歴を教えてください。

黒沼)サッカーを始めたのは小学校2年生からです。出身地の山形では当時、夜はプロ野球のジャイアンツ戦がずっと中継されていて父がよく見ていたのでそれに影響されて私もよく試合を見ていました。

その影響でよく近所の家の壁にボールを当てて、一人ゲッツーとかやってました(笑)。ですので野球クラブに入ろうと見学に行ったらあまりにコーチが怖くて断念して(笑)、その時にサッカーをやっていた4歳くらい年上の友達のお父さんから誘われて地元の少年団に入ったのがサッカーを始めた経緯です。
ーではもし野球チームにチームに入っていたら今頃野球チームのコーチになっていたかもしれませんね(笑)

黒沼)確かにそれもありえたかもしれません(笑)。
少年団に入った後は地元の中学校のサッカー部に入り、それまではチームの一員という感じだったのですが中学校では1学年上の試合に出してもらったり地区の選抜に入れて、主力みたいな立場だったのでより責任感や向上心が高まった時期でした。
そこから高校サッカーに進むか悩んだのですが、最終的にはモンテディオ山形(現J2)のユースに入団しました。そこで何度か公式戦に招集されなかったプロ選手と試合や練習をしたのですが、そのレベルの高さに圧倒されて、その時持っていた「プロサッカー選手になる」という夢は見事に打ち砕かれました(笑)。
「試合に呼ばれていない選手でもこのレベルなのか…」と相当落ち込みました。

ー夢を打ち砕かれた後もサッカーを続けたんですか?

黒沼)はい、大学に進学後も続けました。でも大学を選ぶ際には【関東にある都道府県2部リーグ以上に所属している・マスコミ系の勉強ができる場所】という基準で学校を探し、帝京大学に進学して体育局サッカー部に所属していました。
それはサッカーで飯を食っていくのは無理だけどサッカーはしたい・卒業後にやりたい仕事で生きていきたいという思いがあったからです。
当時はスポーツ全般が好きだし、文章を書くのも好きだからスポーツライターになりたかったのです。

ー大学サッカーはいかがでしたか?

黒沼)全国的に有名なサッカー部のキャプテンや高校選手権の優勝チームのレギュラーが同級生にいたり、先輩にも超名門校のレギュラーがたくさんいて本当に圧倒されました。
その中でトップチームの試合に出るのはなかなか難しく、時々試合に出ることはあってもレギュラーで出続けるということは4年間叶いませんでした。
何度も心が折れそうになってサッカーを辞めようかと悩みましたが、素晴らしいチームメイトに恵まれて最後まで続けることができました。
4年生の時にチームは関東2部リーグに所属していたのですが、なかなか試合に勝てず悩んでいました。そこでシーズン途中から試合の翌日に選手たちで自主的に集まってミーティングをする事にしたのですが、その時にレギュラーの選手たちが「レギュラーではないけど、サッカーを知っているし意見を聞かせてほしい。だからミーティングには必ず参加してくれ」と言ってくれました。
ミーティング自体はレギュラークラスの選手ばかりで行っていたのですが、そこに呼んで意見を求めてくれるというのは単純に認められているという思いが伝わって嬉しかったです。
そういう仲間とだからこそ4年間やり遂げることができました。

ー卒業後は目標であったスポーツライターではなく、サッカー指導者の道を選ばれたのはなぜですか?

黒沼)大学では教職課程をとっていたので、4年時に母校の中学校で教育実習を経験しました。もともと幼稚園教諭も大学進学時に検討していたくらい子どもが好きだったのですが、その時に「子どもと接する仕事は楽しいな」と改めて実感しました。
でも自分は勉強が好きではなかったので、好きじゃない事を教える自分の気持ち・そんな先生に教わる事は生徒にとって良いのかなどを考えて悩んでいました。
その時に「好きな事を教えられたら幸せだ」という単純な考えで大学のサッカー部の監督に相談して清水エスパルスを紹介してもらいました。
そしてエスパルスで研修を兼ねたテストを1週間受けて合格し、内定をもらっていたマスコミ系の会社に辞退を伝えに行ってエスパルスで働くことが正式に決まりました。

ーエスパルスではどんな仕事をされていたのですか?

黒沼)最初の2年間はサッカースクールのコーチとして未就学児や小学生にサッカーを教えていました。2年目はスクールの選抜クラスも担当させてもらい、サッカーを始めたばかりの子とサッカーをもっとうまくなりたいという選手の両方の子ども達と接する事ができました。そして3年目からは新しく立ち上がったスクール部門のジュニアユースでU-13の監督を3年間担当させてもらいました。
スクール部門とはいえ、セレクションもありますし選手たちの実力は高かったです。今では県1部リーグを戦っているくらいのレベルのチームですから。

ーそのジュニアユースでの経験からスペイン留学を決められたと伺いましたが

黒沼)そうです。選手の質はいいのになかなか担当しているチームで結果が出ず、一緒に組んでいた先輩からも「それ(結果が出ていない事)はお前の実力不足だから」と指摘され「このままではいけない。何かを変えなくてはダメだ」という想いに駆られている際に同じくエスパルスに所属していた坪井健太郎氏(現プレサッカーチーム代表)がスペインに留学されたのです。
そこで現地のサッカー事情やコーチングスクール(指導者資格を取得するための学校)などの色々な話を聞いているうちに「今まで常識と思っていた事は違う世界から見たら非常識なのか。
この別のモノの見方ができるようになれば他の指導者とは違うものが身につけられるかも」という想いで留学を決意しました。

スペイン留学を決意され、実際に留学されてからの内容は後編でお伝えします!お楽しみに。

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