小学生で20分、15分ハーフはあまりにも短すぎる。それはサッカーではない。なぜサッカーではなくなるか?!

少し分かりにくい表現ですが、『サッカーをサッカーたらしめるもの』、それは何でしょうか。

例えば、大人の11人制のサッカーと小学生の8人制サッカーを、もしくはプロのサッカーとアマチュアのサッカーを『同じサッカー』とするためには、それらは同じコンセプトで括られなければなりません。そこには共通の「本質」があるからこそ、大人でも子どもでもプロでもアマチュアでもどのサッカーを見てもそれが「同じサッカーだ」と表現することができます。

しかし、少年サッカーの現場に立つと「これはサッカーではない」と感じることが多々あります。その代表的なものの1つに「試合時間」に関することがあります。

サッカーの本質とは何か?サッカーをどのように定義するか。

例えば、11人制の大人のサッカーと8人制の少年用サッカー。これらが同じ『サッカー』として成り立つのはどのような場合でしょうか。

僕は「8人制サッカーはサッカーではない」という意見には反対です。8人制でも7人制でもある本質を満たせばサッカーではあると思います。
しかし、1対1はサッカーではないと思いますし、観客がいないのはサッカーではないとも思います。これは多少なりとも人によって違うとは思いますが、サッカーのコンセプトを考えなければ理解できません。

つまり「サッカーの本質」を考えることでサッカーのコンセプトが明確になり、同じコンセプトなら同じ『サッカー』と表現できるのではないでしょうか。

「それぞれ色や形、重さが異なるリンゴを同じリンゴである」と僕らが表現できるのは、それらが同じ本質、つまりコンセプトが同じだからです。

ドリブルばかりする、それはサッカーか?

育成年代でひたすらドリブルを繰り返すチームがありますが、それが良いとか悪いは別として、それは「サッカーではない」と僕は言います。なぜなら、サッカーの本質である部分を大きく欠いているものなので、それは概念的にサッカーとは呼べません。(「良い悪い、好き嫌い」ではなく)
ドリブルに限らずパスしかしないのも同じです。

もし、サッカーの本質の一つに「ボールを扱うパスやドリブルなどのテクニックを有効に使い得点をあげるスポーツ」というものがあれば、この本質を欠くので、それはサッカーではなくなるという論理です。

代表的なドリブルの例をあげましたが、他にも少年サッカーに見られる何も考えずに前方にボールを蹴るということも同じ論理です。(そのような場面があっても良いですが、それしか繰り返さないのは問題です)

つまり繰り返しになりますが、好みの問題ではなく、「論理的にそれはサッカーと呼べない」ということです。
育成年代でよくある議論の多くが、何か異質に感じることが多いのは、「サッカーの本質やコンセプト」の認識による部分も多いかと思います。

90分間プレスをかけ続けるのは不可能

ではタイトルにあるように、ジュニア年代での試合時間の短さから「サッカーではなくなる」とはどういうことなのか。
あまりこの種の議論を聞いたことがないので、問題提起として考えてみたいと思います。

例えばプロのサッカーをサッカーだと定義します。例えばその中で「90分間」という試合時間の中で全ての局面においてプレスをかけ続けるのは不可能だということがあります。
そのため、試合の終盤でプレスがかからなくなり失点するといった、『試合の流れ』ができます。
90分という時間設定のため、試合中に同じプレーを行い続けることを不可能にします。
もし、20分だとどうでしょうか?おそらく終始プレスをかけ続けることができます。
そするとそれは今のサッカーとは違う性質のものになるのではないかと考えられます。当然、求められるフィジカル能力も変化します。

体力面や心理面でもサッカーには『流れ』が必ずできます。それは試合時間と絡まりあっています。

もし、プロの試合時間があと30分短くて、ゴールの大きさやピッチの広さが2倍なら、今のサッカーとは違う性質のスポーツになるのではないでしょうか。極端な例ですが、それは「サッカー」ではなくなります。

ジュニア年代の試合時間は「サッカーの本質を考慮したもの」になっているか?

そうした時に、例えば日本のジュニア年代(小学生)の試合時間が15もしくは20分ハーフになるのは何故なのか?
僕の意見では、この短い時間だとサッカーの概念からかけ離れてしまい、それはもはや違うスポーツになってしまうという考え方です。

この時間設定で行うと、サッカーの本質の一部である「流れがある」という部分が欠落します。例えば15分ハーフ。相手のシステム変更に対応する前に前半終了間際。後半開始直後に失点すると残り14分しかありません。しかし、フィジカル的には14分間プレスをかけ続けることは可能です。
そうすると流れはほとんど変わらず試合終了。
一時間あけてまた別のチームと試合を行う。
練習試合では良いですが、公式戦となるとこれは本当に「サッカーの試合」と呼べるのかと疑問を感じます。
ちなみにスペイン(カタルーニャ)だと小学生高学年の場合は60分ゲームです。15分×4ピリオド制ですが、これくらいの試合時間になるとプロの試合と同様に「試合の流れ」が出るのではないでしょうか。

改善されてきているジュニアユース年代

ジュニアユース(中学生)年代では試合時間などは随分改善されてきています。リーグ戦などは80分ゲームですし、基本的には1日1試合と、プロや大人と同じようなオーガナイズです。
年間を通じたリーグ戦を行う意味と、試合時間とがうまくリンクしてきており、ここ数年で環境は改善されてきていると思います。

ジュニア年代では年間のリーグ戦の意味と試合時間について深く考えられていない

これは、そもそも『サッカーの本質』もしくは『サッカーというスポーツの特徴』を定義したところから出発しないといけないのではないかと思います。きちんと「サッカーの本質」を理解してそのような試合時間に決定したというより、指導者(運営)側の都合で決まっています。
1日の試合数や試合時間が、サッカーの本質に影響するということがほとんど議論されないことや、問題提起されないということを考えても、認識の甘さかもしれません。

リーグ戦にせよ、大会にせよ、グランドの問題や日程、大会運営など大人側の都合はありますが、本当にできるだけ「子どもたちがサッカー選手として成長するために最大限の努力をする」という意識のもとオーガナイズされているかというと、とても疑問です。

全てはサッカーのコンセプトをなす本質を考えることから

こう考えるとどのようなオーガナイズでも「サッカーの本質」を理解すれば人数やコートの大きさが違っても「同じサッカー」をすることは可能です。
オフサイドを取らない試合はサッカーの本質を欠きますが、小学2年生の試合で厳密に取る必要があるのか?
スペインだと、低い年代の場合はペナルティエリアの中だけをオフサイドを適用するというようなルールもあります。
つまり、サッカーの本質を壊さないように年齢に沿ったオーガナイズがなされていることだと思います。スペインでは7人制、日本だと8人制、人数が違うから「同じサッカーではない」のではなく、「本質が同じなら、同じサッカー」ということができます。

同じコンセプトという言い方もあると思うし、フラクタルと表現できるかもしれません。

大小の違いはあっても同じ本質なら同じものと考えられるということは、いくら足でボールを扱っていても本質が異なればそれはサッカーとは呼べないスポーツになってしまいます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
■『日本の育成年代における様々な問題を考える』
○目次
はじめに〜「育成年代に必要なことを理解している指導者は少ない?』 移籍、リーグ戦、8人制、試合時間など」
◇01:「リーグ戦文化の必要性」
・01-1:「リーグ戦方式とトーナメント方式の違い、長期リーグ戦とは何か?」
・01-2:「スペインで行われている長期リーグ戦と日本のジュニア年代の環境の比較」(対談:坪井健太郎×レアッシ福岡FC 吉廣)(coming soon..)
◇02:「試合時間について」
・02-1:小学生で20分、15分ハーフはあまりにも短すぎる。それはサッカーではない。なぜサッカーではなくなるか?!
◇03:「大人のサッカーと子どものサッカー」
・03-1「大人のサッカー」について考察する
◇04:「サッカーにおける反則とは何か?」
・04-1「ファールすることは悪い事」と決めつける指導者
◇05:「小・中学生の移籍について」
・05-1:「すべては選手のために」 日本ではネガティブに考えられる「移籍」 Vol.1
・05-2:「すべては選手のために」 日本ではネガティブに考えられる「移籍」 Vol.2
・05-3:ジュニア年代の移籍に関して問題解決へ!

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この記事を書いた人

□スペインサッカー指導者ライセンス レベル1
□選手歴 筑陽学園サッカー部卒
□指導歴
2007-現在 レアッシ福岡FCジュニア,ジュニアユーススタッフ
2009-12 FCバルセロナ オフィシャルスクール福岡校コーチ
2015-2016 スペインバルセロナ在住
2015-16 UE CORNELLA Juvenil B 研修(バルセロナ)

サッカーコーチが学べる情報サイト『ジュニアサッカー大学』を運営