OB・OGたちの今…2005年度卒 松川君(キャプテン) 『プロを目指して。高校選手権全国大会へ出場』

レアッシ福岡FCはクラブチームとして活動を始めてから2017年現在で約9年、クラブチーム化する以前の少年団チーム、横手SSCからの活動を踏まえると20年強の年月が経ちました。世代が一つ変わる程の年月を経て、クラブを卒業していった選手たち。多くのOB・OGを排出してきましたが、彼らの現在を巡ってみたいと思います。

記念すべき第1回は、当クラブ代表そして吉廣(Kazu)コーチの教え子でもあり、現在当クラブの「スポーツマーケット部門」に携わる松川君にインタビューしました。

恩返しをするためにクラブに戻ってきた 「新たなチャレンジ」

-吉廣(Kazu)
『松川君は現在、クラブが新しく立ち上げた「スポーツマーケット部門」のスタッフとして仕事をしていますが、なぜこの仕事を選んだのですか』
-松川
『大学までサッカーを続けて卒業後に一般企業へ就職しました。しかし、子供の頃からプロサッカー選手を目指して小中高大学とある程度高いレベルでサッカーをしてきましたので、本当にこのまま企業で働いていて自分の人生に満足できるのか、という疑問が湧いてきました。そんな時に恩師である吉廣代表に「新しいことを始めたいと思うので一緒にやらないか」と誘われたのをきっかけに再びサッカーに関わることになりました。』

-吉廣(Kazu)
『何故サッカーに関わることを仕事にしたいと思ったのですか?』
-松川
『やはりそれまでの自分の生活はサッカー中心であったのと、好きなことを仕事にしたいという強い気持ちがありました。また、小学生時代にお世話になった方々に恩返しをしたいということや、自分のサッカー経験をクラブに活かすことができるのではないかと思い、また自分やクラブにとっては難しいけれど一緒に新しいことにチャレンジしたいという思いからこの仕事に就きました。』

CSR活動という新しい街クラブの挑戦

-吉廣(Kazu)
『クラブでは現在新しい取り組みとしてCSR活動などを通じて地域とクラブを結びつけることにより、今までのアマチュアクラブにはない新しいカタチを作ろうとしています。活動を始めてどのように感じますか?』
(※CSRとは企業の社会的責任の意。現在企業が社会に果たすべき責任としてアマチュアスポーツでも注目されている)
-松川
『CSRというのは大手企業だけではなく小さな地域の企業にとっても今後とても重要な概念になってくると思います。例えば、大手企業はプロスポーツやマイナースポーツでもトップアスリートに対して支援することで社会的貢献を果たすことができます。実際は貢献しながら企業のイメージアップを図るという側面もあります。
しかし、中小企業もしくは地域で仕事をしている個人企業などにとってはその対象になるものがありません。地域に貢献したいと思っても、支援する対象が少ないのが現状ではないでしょうか。
そこでレアッシではアマチュアサッカークラブ、それも育成年代しか持たないクラブでも地域と連携することで新しいカタチを作ろうとしています。
まだまだ前例のないものですが、新しいことにチャレンジするという意味ではとてもやりがいがある仕事です。もっとも前例がないだけに手探りですが(笑)』
企業とサッカークラブを結びつけるレアッシの取り組みはこちら

サッカーに明け暮れた少年時代

-吉廣(Kazu)
『松川君は2005年度にレアッシの前身である横手SSCを卒業したのですが、当時のクラブや個人の思い出はありますか?』
-松川
『当時は吉廣監督をはじめ、カズコーチの他に当時横手SSCのOBであったコーチたちが数名ボランティアスタッフとして指導してくれました。今の子供達を見ると、コーチたちも随分と優しくなったなあと感じます(笑)。
当時は本当にサッカーが好きでいつもボールを蹴ってました。監督は怖かったし練習はとてもハードでしたが、6年生の時には当時福岡県内で無敵を誇っていたアビスパ福岡を破って福岡支部で優勝することができました。自分たちはプロクラブのようなセレクションを合格して選ばれたメンバーではありませんでしたが、非常に良いチームワークと個人の努力で良い成績をだすことができました。』
-吉廣(Kazu)
『当時の監督は怖かった(笑)ということですが、練習は楽しかったですか?』
-松川
『本当に怖かったです(笑)。でも自分は最後は福岡大学でプレーしましたが、高校では全国大会に出場することもできたし、中学では県トレセンにも選ばれることができました。今思うと、小学生時代にみっちりと基礎を学べたのは良かったと思います。勿論練習はハードでしたが、練習日以外でもいつも友達とサッカーをして遊んでました。練習というようりいつもボールで遊んでいたという感じです。本当に楽しい日々でした。』

鳥取で開花した高校時代

-吉廣(Kazu)
『中学2年生の時に家族の都合で鳥取県に引っ越しましたが、高校サッカーはどのようなものでしたか?』
-松川
『境高校に入学しました。高校1年生の時にFWのレギュラーとして高校年代では重要な大会になる冬の選手権に鳥取県の代表として全国大会に出場しました。鳥取県大会決勝では、現在日本代表のDFである昌子源選手(米子北高校出身、現鹿島アントラーズ)と何度もマッチアップをしたこともありました。全国大会では3回戦まで勝ち進み、鹿児島の神村学園に負けて全国ベスト16で敗退しました。たまたま福岡でその試合がテレビ放映していたみたいで、福岡の友人からメールが沢山来て、鳥取のど田舎にいってもサッカーを頑張っている姿をみんなに見てもらえて本当に嬉しかったです。全国大会終了後、サッカージャーナリストの安藤隆人さんと仲良くなり、自分の記事を雑誌にたくさん書いていただきました。もちろんプロになりたくてサッカーを続けてきたので、ここまで有名になれば高卒でプロになれるだろうと思っていました。しかし現実は甘くなかったです(笑)。』

福岡大での最後の現役生活

-吉廣(Kazu)
『福岡大でもプロを目指していた?』


-松川
『大学1年時まではプロを本気で目指していました。しかし、福岡大からプロになっていく選手たちを見ていて、2年時にはもう諦めていました。限界っていうものを感じました。大学4年時にはアビスパのスクールコーチも体験しました。指導者という道も考えましたが、自分は指導者向きではないと思い、難しそうだったのでやめときました(笑)。それでも最後までサッカーを本気で取り組んで、サッカー人生を終えました。大学卒業後旅行会社に入社しましたが、やはりサッカーに携わる仕事がしたいと思っている時に、自分が育った横手SSC(レアッシの前身)の恩師である吉廣代表に声をかけて頂き、レアッシ福岡FCで働くことになりました。転職を機に、違った形でサッカー人生が再びスタートしました。

今後の目標について

-吉廣(Kazu)
『松川君は今後、レアッシをどんなクラブにしていきたいですか?』
-松川
『ここまで自分を育ててくれたチームへの恩返し、”日本一の街クラブ”にすることに貢献したいです。正直、レアッシがここまで大きくなっていることが本当にすごいことだと毎日感じています。しかし、まだまだこれからクラブは大きくなれます。芝生のグラウンドを作ったり、もっとサッカーをする環境を良くすることはできると思います。そこの部分に、スポーツマーケット部門の自分が力を注いで頑張りたいと思っています。地域の人ともっと関り、地域活性化を図る。そして企業も病院も飲食店も、自分が育った福岡の街で共に成長していけたらと思います。』

吉廣(Kazu)
『最後にレアッシの選手たち、レアッシに関わる人達に言葉をお願いします。』
-松川
『まず、選手達には思い切ってサッカーをしてほしいです。あとは楽しむことを忘れないこと。楽しむことを忘れたら何事も続きません。コーチに怒られて落ち込むのではなく、たくさん練習してコーチを見返してください。その時に本当の楽しさが生まれてくると思います。あとは、レアッシからプロが出て欲しい。プロになれなかった僕の分まで、有名な選手がこれから続々と出てくれたらいいなと思います。また、レアッシに関わる人達には、このチームを本当に応援していただきたいです。卒部後にはなかなか関われることがないと思いますが、レアッシはホームページで情報も発信しているし、今後はOB会なども積極的にしていこうと考えています。ぜひその際にはよろしくお願いいたします。一緒にレアッシというクラブを大きくしましょう。

 

 

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