自由とわがままをはき違えてはいけない

指導者向けのサッカー雑誌やインターネットで指導者の方のコラムや記事を拝見していると【選手の自由な発想を活かす】【選手に考えさせる】といった言葉をよく目にします。
私自身もこの考え方には賛成しています。しかしそれらの言葉の捉え方次第では選手の成長に繋がらないことになりかねないと感じています。その理由を私自身の経験から述べさせていただきます。

サッカーという競技にルールがあるようにチームにもルールが存在する
以前ある選手が練習中にメニューの設定を無視してトレーニングをしていたので「この練習ではこの制限があるから必ず守ってくれ」と伝えました。するとその選手は「でもこっちの方が僕はいいと思ったのでやりました。ダメですか?」と返してきました。そこで私は「全ての練習には意図があって組んでいる。だから設定は守ってくれ。その設定の中で判断してプレーするのは構わないから。」と伝えました。選手は納得してプレーを続けてくれましたが、選手が練習の設定を全く無視してプレーしていては無秩序(カオス)な状態になり監督がそこにいる意味がなくなってしまいます。それは選手が自由にプレーしているとは言わず、好き勝手にプレーしているのです。
練習には【オーガナイズされたカオス】が必要なのです。オーガナイズされすぎていると選手は機械的に動くばかりで判断することがなくなり、逆に全くオーガナイズされていないと選手は好き勝手にプレーしサッカーを段階的かつ計画的に学ぶことができません。必要な要素を学び、身につけるために決められたルールの中で選手が自分の判断と責任の下でプレーする事が【自由を与える】ということなのです。

集団スポーツではチームやグループでイメージを合わせなくてはならない。その為に必要な事とは
サッカーとは一瞬で状況が変わる複雑なスポーツです。その中で相手の状況などを踏まえながら複数の選手でイメージを合わせてプレーしなくていけません。その中で選手たちが何一つ基準に基づかずにプレーをしていては、プレーの可能性は無限にあります。その無限にある中でイメージを合わせるのは簡単ではありません。例えるなら10人の人に「好きな色は?」と聞くのと、「赤・青・緑の中で好きな色は?」と聞かれるのではどちらが合うと思いますか?それと同じように何一つ基準のない中で無秩序にプレーしていてはなかなかイメージは合わないと思います。それを「合わせろ!」というのはかなり要求度の高いものではないでしょうか。だからこそチームとして・グループとしてイメージを合わせるためには基準が必要だと思うのです。

基準を与える事は選手の判断や自主性を奪うのか
レアッシでは団子サッカーを推奨していません。それは世界のサッカー(リーガ・エスパニョーラ、セリエA、プレミアなど)で団子サッカーをしているクラブがないからです。つまりサッカーの原理原則ではコートを広く使う、というのがあるのです。それを選手たちが「広がった方が効果的だぞ」と気づくのは簡単ではありませんし、仮に気づくとしてもかなり時間が掛かるでしょう。ではそういった時に「ボールを持った味方に近づかないでパスを呼び込もう」と伝え、それを選手が理解したら、選手から判断を奪うことになるのでしょうか。私は違うと思います。それは、選手が「味方がボールを持ったら相手がボールに寄るから離れてパスを呼ぶんだ」と判断し、行動しているからです。その瞬間に基準を基に行動を起こせば、それは判断していることになるのです。

選手に本当の意味で自由を与えるとは
チームとしての基準を設け、選手に理解させる。それによって選手たちは共通理解のもとでプレーができる。その中で自分のプレーに責任を持ち、自分で瞬間的に判断して実行しながら仲間と協力してプレーをする。それこそがサッカーにおける自由にプレするということになるのではないでしょうか。

 

 

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この記事を書いた人

□スペインサッカー指導者ライセンス レベル2
□指導歴
2007-2012 清水エスパルス普及部
2009-2012 エスパルスSS駿東JY U-13監督
2012-2013 U.E.SANT ANDREU Infanitil A (U14)アシスタントコーチ
2013-2014 U.E.SANT ANDREU Cadete B (U15)アシスタントコーチ
2014-2015 C.D.ALMEDA Alevin A (U12) 監督
2015-2016 U.E.Sant Joan Despi Alevin D (U12) 監督
      U.E.Sant Joan Despi Infanitil E (U14) 監督
2016-現在 レアッシ福岡FC