レアッシ福岡フットボールクラブ

福岡県福岡市のサッカーチーム

バルセロナで活躍する日本人指導者 〜坪井健太郎氏インタビューVOl.01〜

バルセロナで活躍する日本人指導者 〜坪井健太郎氏インタビューVOl.01〜

スペイン・バルセロナでサッカーコーチとして活躍する日本人指導者、坪井健太郎氏にインタビューを行いました。坪井氏は現在バルセロナにて高校生年代のコーチを務めながら、日本人や外国人のためのスペインにおけるサッカーコーチングライセンス取得の留学プログラムなどを提供するプレサッカーチームの代表でもあり、レアッシ福岡FCのスーパーバイザーも務めています。

プロ選手を目指した選手時代

ー「サッカー選手としての経歴を教えて下さい」

坪井)私は静岡県の出身なのですが、4歳から近所にあったサッカースクールでボールを蹴り始め、高校生までプレーを続けました。小学3年生の時に自分が通っていた学校にあった少年団に入り、そこから試合や練習を通じて本格的にサッカーを始めました。
ジュニアユース(中学生年代)ではジュビロ磐田の下部組織であるジュビロ浜松でプレーしました。当時は静岡の浜松市周辺の選抜のようなもので上手い選手が集まっていました。
しかし、ジュビロ磐田のユース(高校生年代)に上がることはできなかったため、地元の名門校である静岡学園高校へ進学し新たなチャレンジを試みました。
静岡学園では試合に出るための厳しい競争がありました。もとU-〇〇日本代表のような選手もいましたし、選抜や有名なJクラブチームでプレーしていた選手もたくさんいました。
そもそものサッカー選手としての能力の違いは高校入学当時から感じていましたが、その差を大きく埋めることはできず、残念ながら最終的にトップチームで試合に出れるレベルには行けませんでした。
子供の頃からプロのサッカー選手になることが夢でしたが、高校卒業と同時にその夢を断念しました。しかし、サッカー選手にはなれませんでしたが、サッカーと自分の関わりを改めて見つめ直し指導者になるという新たな目標もでき、大学へは進学せずに広島にあった安芸FCのコーチとして指導者のキャリアをスタートさせました。

広島でキャリアをスタートさせて清水エスパルスへ

最初はクラブのスクールとU-13のコーチをさせてもらいました。新米の自分にいきなりU-13のコーチを任せてもらえるのは今振り返ると思い切って任せてもらえたなと思いますが、安芸FCがテクニックを重視するクラブであったのと、自分が静岡学園(テクニック重視のコンセプト)出身であったということもありひたすらテクニックトレーニングを行う日々でした。
広島では約4年間指導し、その後安芸FC総監督の紹介もあり清水エスパルスへ移籍しました。清水エスパルスでは、スクールコーチをしながらスクール内のジュニアユースチームや、提携クラブのキューズエスパルスジュニアの監督もしながら3年間指導者として働きました。

スペインへの指導者留学

ー「なぜスペインへの指導者留学を決意したのですか?」

坪井)広島にいた時に出会った友人が先にスペインへ留学していたこともあり刺激を受けていました。彼はすでにスペインで活動していたため、日本にいながら連絡を取る中でスペインと日本のサッカーの違いについて興味を持ちました。
日本でも雑誌などにスペイン人指導者の記事が掲載されたり、指導者講習会が行われ、それに触れるうちに自分の中でもスペインへ行こうという気持ちが強くなりました。
そして1年間の準備期間を経て、2008年4月にスペイン・バルセロナに渡りました。今現在で約10年、スペインに住んでいることになります。

スペインでの生活がスタート

ー「最初の頃のスペインでの生活はどのようなものでしたか?」

坪井)スペインへ到着したらある程度英語でコミュニケーションがとれるだろうと予想していたのですが、ホームステイ先の方がまったく英語ができず、また私もスペイン語ができなかったので初日からまったく家の人とコミュニケーションが取れない状態からスタートしました(笑)
留学当初は早く指導現場に入りたいという思いが強く、先ほどの友人からあるスペイン人の方を紹介してもらいました。その人づてでどこかのクラブでコーチができないかと考えていたのです。
まだスペインについて2週間という状態で言葉は全くできませんでしたが、現場に入りたいという思いから電話をかけることにしました。スペイン語のカンニングペーパーを用意して、「コーチをやりたい!」という自分の言いたいことは伝えたのですが、相手の言っていることがまったく解らず電話を切られて終了しました(笑)
顔を見て喋るならジュスチャーなども交えて何とかコミュニケーションが取れる場合もありますが、顔の見えない電話は、語学ができない人にとっては地獄のような苦しみです(笑)
今思えば無謀ですが、当時は早く現場に立ちたいという思いが強かったのは事実です。
その時は電話を切られて終わってしまいましたが、後に友人と一緒にその人と3人で会うことができクラブを紹介してもらいました。
それでもその時はスペインへ来てまだ4ヶ月でしたから言葉は十分ではなく、「また後で電話するからな」と言われてもスペイン語の未来形の表現を習っていなくて理解できず、そのスペイン人の方からも「まずはスペイン語をちゃんと勉強しろよ。そうしないとクラブのスタッフは紹介しないぞ(笑)」と発破をかけられたのは今での鮮明に覚えています。
2008年4月に渡西してから最初は語学学校へ約10ヶ月通っていましたが、9月にはエウロパというクラブでカデーテ(中学生年代)というカテゴリーのアシスタントコーチを始めました。
—————————–
Vol.02はこちら!

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 0 )
  • Trackbacks ( 1 )

コメントはまだありません。

  1. […] レアッシ福岡フットボールクラブHP 「バルセロナで活躍する日本人指導者 〜坪井健太郎氏インタビューVOl.01〜」 http://www.leassifukuoka.jp/2017/05/25/post-5356/ […]

Return Top